2019年 12月 13日
今週は、家仕事に集中して過ごしました。
家の設備のちょっとした不具合も、
年を越す前に修理や点検をしていただきたくて、
いくつかの業者さんに来ていただきました。
年賀状も少しずつ書き始め、
家の中の掃除やお手入れ、書類の整理などなど、
することは次から次へと湧くようにあります。
そんな気忙しい師走の時期に、
毎年お歳暮でいただく林檎。
テーブルの上で、ほのかに芳香を放っています。
“今年の林檎は天候のせいで、いつもより風味が落ちるかもしれません”
と添え書きがありましたが、
いえいえ、美味しくいただいています。
今年は、長野県の林檎農家さんの畑が台風で全滅してしまった映像もニュースで見ました。
パリ協定やCOP25についての報道にもありましたし、
世界中の多くの学者や識者が警鐘を鳴らしているように、
地球温暖化によって人類の未来さえ危ぶまれている状況の今。
それも遠い未来ではなく20~30年後の話のようです。
先日アフガニスタンで襲撃された中村哲さんも、
真に向き合わなくてはならないのは温暖化だと仰っていたようです。
アフガニスタンも凄まじい砂漠化が広がっているとのこと。
そこに60万人の人の命を救った治水事業を進めた偉大な方だったのに、
あのようなことになって言葉にならない無念を感じました。
なんだか例年以上に、林檎のひとつひとつが愛おしく映ります。
昔から、一日一個の林檎は医者を遠ざける、という言葉がありますが、
これはイギリス・ウェールズのことわざだそうです。
母や義母も昔からよく、
“林檎は医者知らずって言うわよ”
と言い、今でも冬になると毎日食べているようです。
林檎の皮の油気は、油上がり、といって
林檎そのものが出す油。
食べ頃を示すサインでもあります。
皮にはポリフェノールが豊富ですから、
洗って芯を抜き、
皮ごとパリパリとお煎餅のようにして、
毎日主人と二人で一個はいただいています。
りんごの芯抜きは長年愛用の調理用具で。
季節の果物として当たり前だったものが、
将来当たり前ではなくなるかもしれないほど、
地球温暖化の影響は凄まじいものがあるようです。
西洋では、アダムとイブがかじった禁断の果実として描かれることもある林檎。
それが本当に林檎だったのか、無花果だったのか、杏だったのかはわかりません。
あくまでそれは、ひとつのメタファーなのだと思います。
人間の欲は、人類の進化をもたらしたけれど、
もっと、もっと、という欲望に身を任せているうちに、
結局は自分たちの首を絞めている。
今年はいつになく林檎たちがいろいろなことを語りかけてくる気がしています。
by mahoroba-diary
| 2019-12-13 14:21
| フルーツ